15. 社会心理学のこれから
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1. 社会心理学の多様性
社会心理学が扱う問題が多様であることは、社会心理学の大きな特徴の1つでもあり、強みにも弱みにもなっている
なぜ多様性がみられるのか
社会心理学の研究対象が実に幅広い
人間が営む生活はあらゆる場面で社会的
ゴードン・オルポートが言うように、他者が目の前に存在している場合だけでなく、想像の中で存在したり、存在がほのめかされていたりするに過ぎない状況さえ、社会的環境とみなすならば、人間の行動とその行動を生み出す心のしくみや働きは、どのようなものでもすべて社会心理学の研究対象になると考えることができる 社会心理学が時代の変化に敏感な学問であり、常に同時代の社会的要請に応えるかたちで学問が発展してきたこと
社会心理学の研究には特定の事件をきっかけに行われたり、個別の問題解決を目的として始められたりするものも多い
肯定的にとらえるならば、社会心理学は時代の要請に即応でき、人が生きていく上での実践的な知を導くことのできる魅力的な学問だということができる
多様性は一方では、社会心理学の最大の弱みとして研究者たちの悩みの種となっている
1つの学問分野としての蓄積性のなさや統一性のなさを意味することもある
個別の研究の成果は有効で、またそれぞれの問題領域においてはある程度、蓄積性があったとしても、それらは互いにどのように関連し、どのような共通性をもっているのか
あるいは、個別の領域の研究を束ねる社会心理学の理論(メタ理論あるいはグランド・セオリー)といったものはあるのかと問われた時、現代の社会心理学は残念ながらいまだ確たる答えは持っていない 2. 社会心理学の研究アプローチ
2-1. 社会的認知アプローチ
20世紀後半から今日にかけて、社会心理学の研究に1つの方向性を示してきた
人がいかに社会を理解するかという、個人から社会へのプロセスを解明することを目的とした領域であり、概念や方法論の多くを認知心理学に負っている 社会的認知研究のアプローチ
人間をコンピュータの一種(情報処理システム)と見なし、外界から情報を入力、処理し、行動として出力する存在として描くことで、人間の心の働きをプロセスとしてモデル化しようとする点で共通している
人間を情報処理システムとみなす考え方は、社会心理学が人間を対象とする学問である以上、あらゆる領域の研究に適用可能
結果として社会的認知研究の枠組みは、導入されて以降、瞬く間に社会心理学全体に広がり、かつては関連性が問われることなどなかった領域の研究者同士が、共通の概念や理論を使って対話できるようになっている
社会的認知アプローチはまた、社会心理学の研究方法にも変化をもたらした
たとえば課題遂行時の反応時間の測定や、記憶の量と正確さを測定する再生・再認テストなど、認知心理学において開発された実験手続きが社会心理学に持ち込まれ、人の認知構造や認知過程を直接的、客観的に調べられるツールとして利用されるようになった
社会心理学の各領域が、概念や理論だけでなく、方法論の共有を通じても、徐々に連携がもたれるようになった
当時は社会的認知の研究者が他の社会心理学領域の研究の価値を貶め、それらを排除しようとしていることの表れとみなされ、多くの反感をかった
彼の真意は排除というよりは包摂にあり、幅広い領域にあたがった伝統的な社会心理学研究が、社会的認知という枠組みの中に包摂されることで、社会心理学の中に秩序が生まれることを期待するもの(Ostrom, 1994) 社会心理学の現況は、まさにおストロムが想定したようなもの
2-2. 進化論的アプローチ
社会的認知アプローチは、なぜ人間はそのような心の仕組みや働きを持っているかについては教えてくれない
進化論的アプローチ
現在の生物が持つ身体的形質や行動傾向が、その生物が暮らした、かつての生活環境への適応の結果として自然選択されてきたものであるのと同じ用に、人間が持つ心のしくみや働きを進化的適応の産物と捉えるアプローチ これまでばらばらに検討されてきた人間が持つ種々の心の機能を「適応」という概念のもとに包括的に理解しようとする取り組みと言い換えることもできる(亀田・村田, 2010) しかし、社会心理学の知見の数々を、進化的適応という概念のもとで統一的に理解しようという試みは始まったばかりであり、今後の発展が期待されている
社会心理学において、進化論的アプローチが注目されるようになった背景には、人間(や霊長類)が適応すべき感情は社会環境だったのえはないかという、近年の進化心理学者たちの主張が大きな役割を果たしている 進化人類学者のロビン・ダンバーによると、霊長類の脳容量は他の生物を大きく上回っており、人に至ってはさらに大きな脳容量を有している 適応的な観点から言えば、多大なコストがかかる脳は小さいほうが良いはずであり、霊長類においてはコストに見合うだけの必要性があったと考えなければ辻褄が合わない
ダンバーは、大脳の中でも特に進化的に新しく、知覚、思考、判断など高次心理機能を司る大脳新皮質の大きさを様々な霊長類で調べ、それぞれの種の平均的な社会集団の大きさと対応づけてみたところ、両者の間に比例関係があることが見いだされた 霊長類、とりわけ人間の脳(特に大脳新皮質)が大きくなったのは、集団サイズが大きくなり、恒常的に接する他者の数が増えたためという仮説
社会環境において要求される知性は、自然環境を相手にするとき以上に高度なものになると予測される
この考えに基づけば、社会心理学において明らかにされてきた人間の社会的行動や、その背後にあると推測された種々の心の機能は、社会的環境における適応(生存率や繁殖率の増加)を高めるために自然選択されたものと解釈できるはず
社会脳仮説は、後述する脳神経科学にも大きな影響を与えている
進化心理学者たちが考える適応とは、更新世の時代の環境への適応を指す 進化のスピードは遅いため、人間の心の機能自体はこの時代からほとんど変化していないと考えられている
現代人に見られる様々な認知の歪み(バイアス)や不適応行動は、進化的適応環境と現代環境との間にある齟齬によるものだという主張もある 一方、文化心理学者が考える文化差は、長くても数千年ほどの間に生まれたものと考えられていることから、このような変化が同じ「適応」という枠組みの中で理解できるものなのか、議論が交わされている(石井, 2009) 2-3. 脳神経科学的アプローチ
社会的認知アプローチで想定されていた抽象的なモデルが、脳神経科学的にどのように実現されているのかについてはあまり問題とされてこなかった
心のしくみや働きを知るには、その脳神経科学的な基盤の理解が不可欠だという考えは、早い時期から社会心理学者にも共有されたものだった
たとえば、態度は「精神的な状態であると同時に神経学的な状態である」と定義されているが(5. 態度と説得)、このような定義をしたゴードン・オルポート自身が、当時「社会的なプロセスの生物学的な基盤を知るにはあと1000年はかかるだろう」と述べている 脳神経科学的手法を用いて既存のモデルの妥当性を検証したり、モデルの再構築を図ったりする研究に社会心理学者が携わることが急速に増えてきた
社会的知性は人間を特徴づける最も重要な知性として様々な分野で脚光を浴びるようになっており、脳神経科学者も脳の社会的機能を調べる研究を積極的に行うようになってきた
脳神経科学的アプローチは、脳というハードウェアを通じて、心というソフトウェアの機能を統合する可能性を持っているといえる
2-4. 社会心理学の重層性:マイクロ-マクロ
これらのアプローチはいずれも多様な社会心理学の知見を統合しうるものだが、互いに排除し合うものではない
3つのアプローチがうまく補い合うことで、社会心理学で扱われる「個人内」「対人間」「集団」という3つの水準の社会が、有機的に統合されていくことを期待したい
特に近年の社会心理学は「個人内」というマイクロな水準に注目した研究が主流であり、個人が社会環境をどのように認識、理解、思考するかという問題意識を検討することにもっぱらの関心があった
結果的に社会環境は個人の心の情報処理過程に入力される刺激の1つとして単純化あるいは矮小化されてしまっていたといえるかもしれない
北山, 1999は、現代の社会心理学者について「自らの領域を社会的刺激を対象にしたときの『一般』心理学のことであると自己定義し、心の社会性の解明という社会心理学に固有の問題を自ら放棄してきているかのようである」と痛烈に批判している 現代の社会心理学において文化心理学がもてはやされる背景には、このような実情への反省の意味も込められている ただ、社会心理学が「個人内」「対人間」「集団」といった異なる水準の社会を扱うのは、社会をより多面的、重層的なものとして捉えるという意味で、必ずしも悪いことではない
問題なのは、特定の水準に研究が偏ることであり、また水準間のつながりを欠くこと
その意味では、家族心理学との関係性は、社会心理学に新たな視点をもたらすきっかけとなるだろう 家族心理学は「家族」を1つのシステムとして扱い、「個人内」「対人間」「集団」の問題をよりダイナミックに捉えようとしている マイクロな水準とマクロな水準をつなぐ縦の糸を模索し、そのダイナミックな関係性を考えていくという取り組みは、社会心理学のなかでも徐々に進んでいる
たとえば、かつて社会的認知研究といえば、その対象となるのは「個人内」の水準の社会に限られていた
しかし現在では、その社会的認知研究で用いられてきたアプローチが、異なる水準の社会をつなぐ意図としても期待されている
1984年に初版が出版されて以降、この分野の基本的文献として改訂が繰り返されてきたフィスクとテイラーの「社会的認知」という書籍が、2007年に改訂された折、「脳から文化まで」という副題がつけられた(Fiske & Tayler, 2007)ことに象徴的 2-5. 社会心理学の学際性
社会心理学は他の学問知識の"輸入"を厭わず、むしろそれらを積極的に取り入れることで今日まで発展してきた
このような社会心理学のスタンスは、悪く言えば学問としてのアイデンティティのなさや"節操のなさ"を主張するものと言える
肯定的に考えれば「社会の中の人の心を探求する学問」という社会心理学の緩い定義と柔軟性が学際研究を後押しし、開かれた学問として人間研究の拠点となりうる可能性を秘めているとも考えられる
最近は「社会的動物としての人間」の心の機能や社会脳への関心が、社会心理学以外の学問分野でも目に見えて高まってきており、反対に社会心理学の知識が"輸出"される機会も増えてきた 多くの学問分野が交錯する「クロスロードの社会心理学」(村田・安藤・沼崎, 2009)が、人間の"社会性"という共通の学問的関心を抱きながらも、異なる学問分野で活躍している研究者たちを結びつける存在となること、これが現代の社会心理学に期待されている姿 3. 社会心理学がもたらすもの
3-1. 実践的な知
社会心理学が提供する知識が、現実の問題解決に利用できることは多々ある
特に社会心理学の研究をリードし続けてきたアメリカでは、社会心理学によって得られた実践知は様々な場面で利用されており、社会心理学者が選挙の際に候補者にアドバイスしたり、参考人として法廷で証言したり、マーケティングのコンサルタント業務を請け負ったりするといったことも特に珍しいことではない 最近は、発信力のある社会心理学者達が、自らが生み出した知見を一般に向けて易しく解説する書籍が次々と出版されている
3-2. 人文的な知
「人間とはどのような存在か」というより本質的な問題を考える上での知も社会心理学は提供できると述べている
人間観構築の基礎となる知
社会心理学が果たすべき役割は、実証研究を通じて、客観的に問題を取り扱うこと
必然的に人間に対する見方を再考する機会を提供するのではないか